1521年スペイン人マゼランによってマリアナ諸島が発見されました。その5年後にポルトガル人がヤップが発見し、1543年にはスペイン人によってパラオが発見されました。その後もスペイン人によってポナペやトラックが発見されました。この時からスペイン人によるミクロネシア諸島の統治時代が始まり、島の名前もスペイン国王やその親族の名前にちなんで付けられました。その後もドイツ人、日本人、アメリカ人による統治がなされました。
 
〜スペインによる統治時代〜
1566年にスペイン人がグアムの領土権を宣言し、サンビトレス神父がスペイン国王に強力な保護を受け、本格的なキリストによる宗教統治が行われました。19世紀後半には植民地化が始まり、様々な国から利権と権力の拡大を求めて進入してきました。その勢いに合わせてスペインもマリアナ諸島とカロリン諸島の領土権を改めて主張しました。このスペインの行動は、米西戦争(1889年)によってスペインがアメリカに敗れるまで続きました。

 

〜ドイツによる統治時代〜
29年間ととても短い間でしたが、かねてから力を入れていた産業開発を積極的に取り組み、特にサトウキビや椰子の栽培はとても盛んでした。また、家畜業も盛り上げ貿易も行っていました。これからの開発事業は目覚しいものがあり、短期間でかなりの成果をあげていましたが、本来の島民の生活様式からかなりかけ離れたものでした。長い間大切にされてきた伝統的な社会を破壊することになりました。
 
〜日本統治時〜
1914年の第一次世界大戦の最中、そのときドイツ領であったミクロネシアを無血占領しました。それまでドイツが開発・発展させてきた様々な産業を受け継ぎ、約30年間統治しました。
1920年に当時の国際連盟から委任統治領として正式に承認され、産業開発の促進に加えて日本語教育の普及を行いました。それらの産業開発の中でも林業やコプラ産業のほとんどが日本国内に輸出され、ミクロネシア諸島は南方資源供給の地として重要なポジションになりました。
その後、第二次世界大戦が勃発し、ミクロネシア諸島を軍事基地として利用していました。そのために、このミクロネシアの地は激戦区となり、今まで築きあげてきた産業開発は戦災のために衰退してしまいました。
 
〜アメリカ統治時代〜
1947年に第二次世界大戦で日本軍を駆逐したアメリカによってミクロネシア諸島は国際連合軍の信託統治領になりました。施政権はアメリカによって行われました。アメリカはミクロネシアに多額の費用をつぎ込み軍事戦略上の価値を獲得しました。また、島民もアメリカからの援助によりかかる生活をするようになってしまいました。信託統治も終焉になったが、アメリカはミクロネシア諸島の軍事的価値を他の国に委ねないために、様々な条件のもと引き続き経済援助を続けることにしました。1975年にアメリカの主権下での自治政府としての道を選びました。それはアメリカから経済援助を受ける代わりにアメリカのミクロネシアの軍事利用を認めるものでした。
1979年には、もともと経済力のあったマーシャル諸島を除いたヤップ、トラック、ポナペ、コスラエ諸島でミクロネシア連邦を設立しました。一方マーシャル諸島は自治政府を作り、アメリカとの自治連合を望み独自に交渉を行いました。